ママ、ダーメ!
最近、イヤイヤ期の娘は
今まで難なく出来ていた着替えなどを
すごく嫌がるようになりました😅
泣き叫ぶ声は
まるで虐待でもしているのかのよう💦
2歳を過ぎたら
もっと自分でやりたいことも増えて
さらに大変になりそうだけど(・・;)
『ママ、ダーメ!』
ママにやってほしくない時の
お決まりのセリフになってます🤣
言い方がちょっとお姉さんぽくて
クスッと笑える感じです(´∀`=)
寝相が悪い娘を
そっと布団に戻そうと抱っこすると
こんなに大きかったっけ⁉︎(๑•ૅㅁ•๑)
と思う程…
起きてる時は抱っこが好きで
1日に何回も抱っこしてますが
寝てると力も抜けてて
より大きく、重く感じます😌
あっという間に大きくなるよー!とは
聞いていたけど
本当にそうだなぁと(*⁰▿⁰*)
甘えん坊でいてくれる期間も
限りがあるだろうから
イヤイヤしたり、暴れたり、叫んでも
そんな時期を《味わう》つもりで
過ごせたらいいかな😊
それでも、そんなにキャパが大きくないから
ママも怒ったりするかも( ̄▽ ̄;)
その時は、きちんとお詫びしよう😘
難聴ママになる覚悟
私のことを理解してくれる
パートナー(健聴者)と出会い結婚💍
子供ができることを望む気持ちがある反面
耳が不自由な私に子育てができるのか
もし遺伝して私と同じように
苦しんだり悩んだりしてしまうのでは…
そんな風に思っていた時期がありました😌
そんな気持ちをパートナーに話すと
『もし子供の耳が不自由だったら
その子の気持ちを一番にわかってあげられるし、
それは自分にはできないこと。
分かり合える存在になれていいじゃない』
と言ってくれました🥺
そして、もし子供がいなくても
2人で生活していければそれでもいい
そう伝えてくれたことが
とても励みになりました☺️
年子の育児は大変なこともありますが💦
可愛い2人の子どものママになれて
日々、喜びも沢山感じています💕
子供にも
不便な思いや、切ない思いを
させてしまうかもしれないけれど…
その分、思いっきり一緒に遊んだり
楽しい時間も作っていくぞ‼︎٩( 'ω' )و
そしてママの周りには
耳のことも理解して
支えてくれる人達もいるんだなぁって
気付いてくれるかな⁈😊
耳が聞こえにくいけど
それは、不得意な分野であって
みんなそれぞれ
得意、不得意があるように
個性なんだよって
胸を張って生きていける人でありたいです✨
初めて補聴器をつけた日
しっかり記録しておいた訳ではないので
記憶の中の話になりますが(^^;
小学4年生頃から右耳の聴力が落ちていき
補聴器をつけることになりました
耳の穴に埋め込むタイプで
耳型をとって
自分だけの補聴器を作ってもらいました✨
色も肌色で、見た目も小さく
目立つ感じではなかったので
補聴器をつけることに対しては抵抗はなく
むしろワクワクしていた気が😄
補聴器のメーカーさんが家に来てくれ
さっそくつけてみることに‼︎(゚∀゚)
メ『聞こえますかぁ?』
母『どぉ?聞こえる?』
私『聞こえる!
なんか、みんなの声がロボットみたい』
こう話したことぐらいしか覚えてないけど
最初はすごく違和感を感じた
今でこそ、
なんの違和感も感じなくなったけれど😌
この初めての補聴器にもお世話になり
その後は、さらに聴力が低下していき
耳掛け式の補聴器をつけて生活していきました
補聴器は
私の体の一部であり
なくてはならない大切なものです
重度難聴の補聴器は費用も高く…
両親には負担をかけてしまったと思うのですが
申し訳ない気持ちを母に伝えると
生活必需品なんだから!気にしないで!と
嫌な顔ひとつせずに
いい補聴器を買ってくれました
父は口数が少ない方ですが
耳の病院に行った日は
『どうだった?』と毎回気にかけてくれました
補聴器をつけると
確かに音は大きく聞こえ
つける前はほとんど音が聞こえず
静かーーーな世界なのですが
つけたとたん
賑やかな世界になります🦻
でも、《人の話を聞く》となると
音としては聞こえても
《言葉としては聞き取れない》ことも多く
やはり不自由さを感じる場面は多々あります💦
それでも、あの時感じた
ロボットみたいな声と
補聴器が発揮してくれる世界への
ワクワク感は
忘れられない思い出です😊
言葉じゃなくても伝わるもの
コミュニケーション能力の高い人に
学生時代から、ものすごく憧れがあった✨
話をしているだけで
相手の表情が徐々に変わり😶😊😆
いつの間にか心を開かせて
笑顔を引き出せてしまえるような人
私もそんな人になりたいとずっと思っていた
でも、
相手の話が聞こえないと
そもそも会話にならない…(。-_-。)
長年の悩みでもあったけれど
コミュ力の高さは
何も〝会話“だけじゃないのかもと
最近感じるように😃
0歳の息子は、
もうすぐ2歳のお姉ちゃんにあやされると
最大限の喜びを表現するかのように笑う
子供同士ならではの世界観なのか⁈
はたまた姉弟の絆なのか⁈
そんな娘は、意味ある言葉を少しずつ
使えるようになってきたところだけれど
道行く人に会釈をしたり
微笑みかけたりして
愛想がいいので
出会った人をパッと笑顔にできる
子供ならではの、なせる業だけれど
身振りや手振り、また笑顔でいるだけでも
人の笑顔は引き出せるものなのかもしれない
そんなことを教えてくれました(*^▽^*)
かく言う私は育児にかまけて
友達の誕生日を忘れてしまっていたり…💦
喜んでもらえる行動は
身近に沢山あるものだなと痛感したので
また、出来ることからやっていけたら😉
昭和の子供時代の思い出
昨日、子供が本棚を荒らしていた時
母が渡してくれた
私の子供の頃のアルバムが出てきました
懐かしいなぁ〜
こんな頃もあったんだなぁ〜
なんて思ってみていたら…
パンダやライオンの
大きな乗り物に乗った写真が‼︎‼︎😲
確か100円で数分動くようなもの
先日、父が娘に乗せてあげたいと
話していた昔ながらの乗り物でした
足がゆっくーり動いて
電気屋さんの前とか遊園地とかにあったかな☺️
最近見ないよねぇなんて話してました
父が子供の頃にはデパートの屋上なんかにも
あったそうですが(゚∀゚)
これこれ!っと思わず声が出るほど😆
この頃は、まだ楽しい時間が多かったかな
いつからか、耳が不自由なことに悩み
人間関係もうまくいかず
親にも愛されてないと思い込み
3姉妹の長女としてしっかり育ててくれたのに
私さえいなければ
家族みんな幸せなのに…
そんなことを本気で思っていた10代…
親の心子知らずとは
まさにこのことですね(^_^;)
今でこそ沢山の愛情を注いでくれたこと
感じられるようになりましたが
当時はわからないものですね。。
まだ幼い子達もいずれ反抗期や
自分に自信を持てなくなることもあるのかなぁ
そんな時は
うざいくらいに愛情表現できるお母さんで
いれたらいいなと思いました(´ε` )
生意気なこと言われたらそれどころじゃないかもしれないですけどね😅笑
昭和ならではか⁈
公園でダンボールキャンプなどをした思い出は
一生ものなように
子供たちにも今ならではの
思い出に残るような経験をさせてあげたいなぁとも
思う1日でした(^-^)
ブログ始めました!( ´ ▽ ` )
このコロナ禍でマスクが当たり前になり
難聴の私には
コミニケーションが取りにくい状況(^^;;
それでもまったなしの
1歳の女の子と0歳の男の子の育児奮闘中です!
自信が持てずにいた私に、、、
障害は武器になる!
そんな言葉をかけてくれる人の存在で
何か自分にも出来ることはないかと…
私の体験や思いが誰かの役に立てれば…!
そんな思いで始めます٩(^‿^)۶