生い立ち〜難聴になるまで〜
私は生まれてすぐに肺炎になり🥵
高熱の影響で左の聴力を失ったようです
幼少期は右耳の聴力だけで生活し
特に不便を感じた記憶はありません😃
小学生4年生頃から聴力が少しずつ落ちていき
授業内容に合わせて補聴器を🦻
つけたり外したりするようになりました💦
音楽、体育、プールなどは外していました
だんだんと重度の難聴になり…
授業にもついていけないばかりか
友達との会話にも
ついていけなくなりました(◞‸◟)
消極的な性格だったので
素直に助けを求めることも出来ず💦
心を閉ざしてしまう時期もありました😔
今思えば、
もっと気持ちをオープンにして
《聞こえなかった所を教えてもらう》とか
《出来るように努力する》とか
自分から行動できていたら…
というか
先生やお母さん、周りの人にも
言ってもらえていた言葉だけど。。
当時の私には
そんなことは出来なかったし
できるなら悩んでなかった😅
何回も聞き返すんだよ?
嫌になられたらどうするの?
そんな思いを毎回するくらいなら
我慢していればいい
その時をやり過ごせばいいと
将来の自分のことなど考えられずにいた😭
大人になると
もっと勉強しておけばよかった
とか
もっと努力できたんじゃないか
なんて
後悔してしまうこともあるけど💦
仕方ない😅
あの時の私には
そんな余裕はなかった
言い訳だけど
生きる意味
存在価値
を見出すことに必死だった
誰からも
認めてもらえてない気がして(T-T)
その気持ちが
全くなくなった訳ではないけど
もう少し、前を向いて
今からでも出来ること
やってみたいこと
やってみよう
子供たちが
無邪気に走り回って
それだけで楽しくて
笑うように
大それたことなどできないけど
楽しめることは
まだまだあるはずだ☺️
きっと沢山✨